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福岡高等裁判所 昭和49年(う)178号 判決 1974年6月06日

被告人 月成辰男 外一名

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人世利新治提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

同控訴趣意中、法令の解釈、適用の誤りの論旨について。

所論は、要するに、原判決は、近代芸能有限会社(以下、近代芸能という。)の役員である被告人両名が、踊り子の山本八重子ら五名をストリツプ劇場「駅前ミユージツク」に派遣した所為につき、職業安定法(以下、職安法という。)六三条二号所定の「公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で、労働者の供給を行つたもの。」に該当すると解釈し、被告人両名に同罰条を適用しているが、右規定は、本来、売淫業の存在を前提とし、これに伴う女衒らの取締りを目的として立法されたもので、職業紹介一般に及ぼされるべきではない。また、同規定の「労働者の供給」とは、職安法五条六項の定義のとおり、「労働契約に基づいて労働者を他人に使用させること。」であつて、解釈上、(イ)労働者の供給事業を行う者と労働者の供給を受ける者との供給契約のあること、(ロ)供給事業を行う者と労働者との間に支配従属関係が存在すること、(ハ)労働者の供給を受ける者と労働者との間に使用関係が存在すること、が必要とされているのに、本件では、近代芸能と原判示駅前ミユージツクとの間に右(イ)の関係が存在するのみで、本件踊り子らは、どの芸能社を通じ、どの劇場に出演するかにつき、全く自由な立場にあり、いわば劇場の舞台を借りて自ら企画した出し物を見せ、近代芸能を介し出演料を受けとるに過ぎず、近代芸能との間に支配従属関係が、また、駅前ミユージツクとの間に使用関係も存在せず、右(ロ)、(ハ)の各要件を欠いているので、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈、適用の誤りがある、というのである。

しかしながら、職安法六三条二号の規定の立法趣旨の一つに、所論のような目的があつたにしても、同規定を所論のように限定的に解釈すべき合理的理由はなく、原判示のように、踊り子が「不特定、多数の観客の面前で陰部を露出する等の卑わいなシヨー」に出演していることを知りながら、踊り子を原判示ストリツプ劇場に派遣する所為も、同規定に該当するとした原判決の判断は、正当である。また、右六三条二号にいう「労働者の供給」の解釈につき、原裁判所が(弁護人の主張に対する判断)の項で示した「職安法六三条二号は、同法四四条にいうところのいかなる職種を問わず労働者供給事業そのものを禁止するものとは異り、とくに労働者を公衆衛生上または公衆道徳上有害な業務に就かせることを禁止するために、このような業務に就かせる目的で、職業紹介をし、あるいは労働者を募集し、もしくは労働者を供給することを禁止したものであつて、右の労働者を供給したといい得るためには、労働者を供給することと同様に職業紹介をしあるいは労働者を募集することをも禁止されていることと対比しても、とくに弁護人が主張するほどに強い支配従属関係等の存在を必要とするものであるとは認められず、労働者において、労働者を供給する側にある者の指示に従い、労働者の供給を受けた者のもとでその業務に就くという程度の関係が認められれば足りるものと解すべきである」旨の見解は、当裁判所においてもこれを是認できるところである。なお付言するに、職安法六三条二号の規定は、同法四四条の労働者供給事業の禁止の規定と異り、労働者が公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就くのを事前に防止することを目的としているのであるから、労働者をそのような業務に就かせる目的で一回でも職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行えば処罰の対象となると解すべきであつて、所論のように、労働者と供給者との間に強い支配従属関係の存在が必要であると解するのは相当でない。換言すると、所論の(イ)、(ロ)、(ハ)の三要件は、職安法四四条の「供給事業」については或は妥当するかもしれないが、同法六三条二号の「労働者の供給」についてはそうではないのである。原判決挙示の証拠によれば、近代芸能と駅前ミユージツクとの間の踊り子供給契約は、同劇場に出演する踊り子を、すべて近代芸能のみを通じ供給するものとし、興行総収入より入場税の一割を控除した残額を同劇場と近代芸能が折半し、右分配金から近代芸能が踊り子に出演料を支払うことになつており、そして、近代芸能に所属する約五〇名の踊り子は、いずれも近代芸能と明確な専属契約を締結しているわけではないけれども、近代芸能が企画し劇場側と取り極めたスケジユール、出演料を前提に、近代芸能の指示に従つて、四、五名ずつ順次、九州各県内等の十数軒のストリツプ劇場を巡回出演するもので、事実上、他の芸能社の斡旋で右劇場の中自己の好きな劇場に出演することはできず、特に駅前ミユージツクの場合には然りであり、踊り子は、劇場側から、衣裳や伴奏音楽の選択、踊りの内容などにつき指図を受けることはないが、演技の中に「オープン」と称する、観客の面前での陰部の露出を織りこむことが暗黙の約束事になつており、刑事処分を受けるような際には、公演予定期間中の出演料相当額、弁護士費用、罰金を、すべて劇場側が負担する慣例まであることが認められるのであるから、被告人両名の本件所為は、職安法六三条二号の構成要件に優に該当するといわなければならない。所論は理由がない。

同控訴趣意中、事実誤認の論旨について。

所論は、要するに、原判決は、被告人両名が、駅前ミユージツクに出演する山本八重子ら五名の踊り子が卑わいなシヨーを行うことを予め知悉していた旨認定しているが、ストリツプ劇場の踊り子らがいわゆる「オープン」を演ずるのは、観客の要求と舞台のムードにより自然発生的に行われるものであつて、本件の踊り子らが同劇場でどのようなシヨーを演ずるかについては、近代芸能の営業担当者として右出演交渉を取り極めた被告人立石さえ事前に知り得なかつたのであり、とくに、被告人月成は、右出演交渉の経緯を全く知らず、本件の踊り子のうち四名とは面識さえなかつたので、被告人両名には踊り子が卑わいなシヨーを演ずることの認識がなかつたものであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査して考察するに、原判決の挙示する各証拠によれば、所論の点を含めて、判示事実を十分認めることができ、記録を精査しても、原判決に所論のような事実誤認があるとは認められない。すなわち、右各証拠によれば、近代芸能は、所属の踊り子約五〇名を、順次四、五名あて、九州各県等の十数軒のストリツプ劇場に巡回出演させることを主な事業とし、被告人月成が代表取締役として、右営業全般を統轄主宰し、被告人立石が営業担当の取締役として、全体のスケジユールを組み、個々の劇場や踊り子らとの出演交渉を取り極め、女子事務員一名が経理事務を担当する組織で運営されていたこと、被告人月成は、昭和四六年二月に近代芸能を設立する以前から既に、駅前ミユージツク経営者蠣久保司との間に、「同劇場に出演する踊り子は、すべて同被告人を通して入れる。総売上げから入場税一割を控除した残額を、同劇場と同被告人が折半し、踊り子の出演料は同被告人が支払う。」旨の踊り子の供給契約を結んでおり、昭和四七年一二月には、右歩合が踊り子の出演料の総額より少ないときは、その不足分を同劇場が補填する最低保障契約まで締結し、近代芸能から同劇場に継続的に踊り子を派遣していたことは、同被告人においても十分承知していたこと、数年前から博多界隈の各ストリツプ劇場では、程度の差こそあれ、踊り子が観客の面前でいわゆる「オープン」と称する卑わいな演技をすることが常識となつており、出演料もそれを当然の前提として高額化し、踊り子が「オープン」をしなければ劇場経営が成り立たない実情にあること、被告人両名は、駅前ミユージツクに出演する踊り子らが「オープン」をすることを承知のうえで、同劇場に継続的に踊り子を供給していたことが認められる。被告人両名の原審供述中右認定に反する部分は措信できない。尤も被告人月成が、本件踊り子ら五名を同劇場に出演させる具体的交渉には直接関与していないことは、所論のとおりであるけれども、同被告人において、前記のように同劇場経営者とストリツプ興行に関する踊り子の継続的供給の基本事項を取り極めている以上、被告人立石の具体的な営業活動は、被告人月成の包括的な労働者供給の指示の現われに過ぎず、同被告人が月のうち五日位は近代芸能の事務所に出社し、営業状態の動きを把握していることを併せ考えると、所論のように、被告人月成が本件踊り子の劇場出演交渉に直接関与せず、また本件五名の踊り子の中四名には面識さえなかつたことは、いまだ、本件につき、被告人月成が、被告人立石らとの共謀共同正犯としての刑責を免れる事由とはなし難いというべきである。右所論も理由がない。

同控訴趣意中、量刑不当の論旨について。

所論に鑑み、原審記録を調査して考察するに、これに現われている本件犯行の動機、態様、罪質、被告人両名の経歴、家庭環境、前科等、ことに、本件は、多数の踊り子を長期間にわたり、組織的に九州各県内等のストリツプ劇場に派遣していた事業の一端が、職安法違反に該当するものとして摘発された事案で、品位のない観客の要求、増収を意図する劇場経営者の煽情的な興行方針の激化および踊り子自身の高い出演料への思惑など、頽廃的な風潮がからんでのこととはいえ、被告人両名が営利の目的で本件所為に及んだことは、労働者がその能力に応じた適職に就く機会を与えようとする職安法の精神を踏みにじるものであつて、その刑責は、決して軽視することができない。所論は、近代芸能が、弱者の踊り子の立場を劇場側の横暴や悪質な斡旋人から擁護している旨、その功績を強調するけれども、被告人らの所為が、踊り子らの卑わいなシヨーを助長頻発させている点、むしろ弊害のほうが大きいといわざるを得ない。また所論は、駅前ミユージツクの経営者らが罰金刑に処せられていることを引用し、被告人両名が有罪であるとしても、原判決が、執行猶予付とはいえ懲役刑を科したものは不当に重いと主張するが、本件踊り子らが公然わいせつ罪に問われたことに伴う劇場関係者らの同罪による刑責と、被告人らの職安法違反罪の刑責とは、法定刑自体に格段の差異があるのであるから、両者を比較するのは相当でなく、本件事案の内容に徴し、原判決が懲役刑を選択し、被告人両名にその最下限の懲役一年の刑(執行猶予二年)を科したのはやむを得ないものと認められ、記録を精査しても、それが重きに失し不当であるとは考えられない。右所論も理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

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